最近、さっぱり・・・

一時はグングン伸びて、周囲の関心を惹いたこともあった。
それがいつの頃からか、少し滞りを見せ始める。


誰にだって、少しくらいの波はある。


次は、次こそ。
波であれば、一つところにとどまって動かないことはない。


動かない?
進まない?
それが停滞です。


その少し前には前兆・予兆というものがありますが、本人はなかなか自覚がなかったりします。
ところが、周りは気づいているものです。


あごが上がる、鼻にかける、なんてよく言いますね。
あごは、物言い。鼻は、得意になる、自慢する、自分(自己)という意味もあります。
要するに、習い始めの頃の素直さがなくなる、自己過信してしまいます。

  
驕り(おごり:いい気になること。思い上がり)が出て、迂闊になるのです。
大事なことを見落として心が行き届かなくなるんですね。


木に例えると、根から幹が伸び、幹から枝が分かれて葉が茂り、実も生る。
この状態が「生長」、人でいう「成長」であり、活動や発展です。
この勢いは大事なことです。


でも、一つ、知っておいてください。
ほとんど全てのもの、事において、偏る(かたよる)ことのないように。


ここで言うと、「慢心」おごりやうぬぼれのことです。
木は、弱ると根が浅くなり、生長が止まって伸びなくなり、頭(幹や枝の先、木の先端)
から枯れ始めます。その頃から、いろいろの害虫がつきますが、


人間もそうです。
調子のよい時は、いろいろの欲が出るもので、それがエネルギーにもなりますが、
勢いと共に、いよいよ偏ってしまい、反する人、教える人の言葉を聞かなくなるものです。
場合によっては悪いことに親しむようになったり、上手い話を持ちかけられたり・・・
虫が食うことになります。


良い意味での自信は、顔つきに表れ、落ち着き(余裕)となって態度に表れますが、
驕りとは一線を画します。


その一線、ボーダーラインは・・・
控え目で、つつましいこと。へりくだって、素直に相手の意見などを受け入れること。
いわゆる、『謙虚さ』を失わない、持ち続けること、です。


他には、どんなに教えても、習ったことを無視して自己流に進める人がいます。
これでは、効率が悪いばかりか上達は望めません。
これもまた、“素直さの欠如”で、そういうのを「自分免許」といいます。


気がついたなら、すぐに改めましょう。
これも素直さですね(笑)。