苦手も嫌いもない

鷄卵が孵化(ふか)しようとする時、殼の中で雛(ひな)が鳴いてつつきます。
これを、『啐:さい』といって、「なめる」ことです。


一方、母鷄が外からも殼をつつきます。
これを、『啄:たく』といい、「つつく」ことです。


内から生まれ出ようとする丁度そのとき、外から生みだそうとする働きが加わり、一つの新しい生命が誕生します。
雛鳥は破れたカラを食(は)んで捨てて“自分が出る穴”を作るのです。


この一瞬は「まさにその瞬間」という大切なこと、逃してはならない時機です。

 
機を得て、教える人(師・親)と習う人(弟子・子)のはたらきが相応じること、
逃してはならない間髪をいれるべき好機(一瞬)を、
「啐啄の機:さいたくのき」「啐啄同時:さいたくどうじ」と表現しますが、
耳慣れない言葉かも知れませんね。


やはり、何か“殻を破る”“変化する”というような一瞬には、
この「自分自身の力」+「1」が必要だということです。


少し意味合いは異なりますが、自分と「ライバル」と意識しあう関係でも
いいのではないかと思います。


なにも停滞を打破するためだけではありません。
“生み出す”“芽生える”というような時も、
自分は、【驚きたいんだー!】という気持ち、
”発憤する”というような、感激性を持ち続けていけることが大切なのです。


どんなに相手を思って力になろう、教えよう、導こうとしても、
当の本人に、その気が無ければ、
本人が、その気にならなければ、
活きてこない。


本気になった時、本当に必要なものが見えてくるはずです。


思い悩む、もがき苦しむ・・・
これに、失意しないでほしい。


差し伸べられる手を待つまでもない。
掴みたい手に、手を伸ばす。


グッっと握り返すその手は、誰のものですか。


苦手も嫌いもない。
必死になってやっと気がつくこともある。