「甘え」と「遠慮」

この二つは、複雑できわどいものです。
自分のこととしては、あまり慎み深くない人も、
他人には遠慮を求める傾向があるし、
自然に甘え受け入れられることがあれば、
甘えすぎて過度になったり、故意であったりするからです。


しかしどうでしょう、
あまり遠慮があると、なんとなく距離を感じたり、一向に親しくなれない感があり、
甘えも、慕ってくるようでかわいいやらと・・・。


そもそも、「甘える」というものは、子供の特権ではないですね。
私たちの日常にも、親子以外に夫婦や特に親しい間柄にあることで、
一方が、相手は自分に対して好意を持っていることがわかっていて、
それにふさわしく振舞うことです。
それは、両者の間では暗黙の了解として存在するものですね。
頼れる相手、安心できる相手、自分が守られていると感じる相手に甘えるものです。


また、「遠慮」というのは、相手の好意に甘えすぎてはいけないと
言葉や行動を慎み控えることであり、
他人に気兼ねをして思いどおりにしないことの多い、窮屈な心理状態です。
しかし同時に、それが好意的に受け取られる場合が多いのも事実ですね。
遠慮しないと、相手から図々しいと思われはしないか、嫌われはしないか、と
心配を巡らせる、相手に対する控えめな甘えであるからです。


「甘え」のなかには、意図的な気持ちを隠した一方的なものがあり、少々厄介です。
甘える振りをして、相手に好意があると思わせたい、「へつらい」や「とりいり」。
甘えさせることで、こちらに好意があると思わせたい、「とりこみ」。
相手が自分に甘えることで、相手は好意があると思いたくて甘えさせる、「甘やかし」。
そして、相手も状況も関係のない依存心、「甘ったれ」。


甘えが愛情の尺度になるのは、
私たちに甘える相手が必要だということですね。
相手の好意に自然に甘えられるという満足感が本当に必要な「甘え」です。