うまくいってますか。

何が?
ふたり(男女)の仲が、です。


ところで、「忽」←この字なんと読むかご存知でしょうか。
「たちまち」と読みます。
これに、心を添わせる(りっしんべん)と「惚れる」という字になりますね。


心を惹かれて夢中になることですが、普段私たちはこのことを「愛する」という言葉で
使っています。
まぁ、博多で言えば「好いとう と」。


でも、付いたり離れたり・・・
案外難しいのも男女の仲です。
「心」が「忽:たちまち」変わったり、
相手に「心」が「惚:ボケる」からなのでしょうかね(苦笑)。
“ぼける” 感覚が鈍ることも、この「惚:ほれる」という字なんです。


“家庭”に安息の場を求める私たち日本人は、男女間でも親しくなり長く時間を共有
するようになると、次第にだらけてきます。
初めの頃には見えなかったアラ(欠点や落ち度)を見てしまい、嫌だと感じるように
なりますし、積み重なって、どうしても駄目になりがちです。
これは男女間の恋愛に限ったことではありませんが・・・。


世界にはたくさん「愛する」という言葉がありますね。
最近はあまり聞きませんが、日本語の正しい「愛する」の表現は、
「参った」なんです。


だから、男女の仲・夫婦の間には、「愛する」と「敬」が無いといけないということです。
『敬』というのは、お互いが感心し合うこと。


だから、単なる「愛」や功利的(わがままや幸福と利益)では成り立たないんですね。
精神的関係になってこなければ敬というものは生まれてこないのです。


「参った」・・・負けて頭を下げる、「あなたは偉い」と自分は頭が下がるということ。
貴人・高貴の人のもとへ行く、という意味の謙譲語で立派な「敬」の言葉。


男女がお互いに尊敬してはじめて「参った」というわけです。
単なる「愛」ではないのです。


こんな人と一緒にいられるのが、幸せなんですね。


★p.s★毎朝朝食さん
昨日はメッセージをありがとうございました。