その時、自分は。 「恐」「哀」

昨日の、ななしさん。
コメントをありがとうございました。
決してそんなことはありません。
本当に伝えたいことは、結びで書こうと思っています。
もう少し続きがありますので、宜しければ最後までお付き合いください。


月曜日から書いています。
3回目の今日は、「恐れるとき自恃(独)の心を」「哀しみのとき心根を」。


■人は恐れると、何かに頼りたくなってしまうものです。
特(独)は絶対性・主体性・独立性を意味する言葉で、
単なる「多」に対する「孤独の独」ではないのですが、少し難しいですね。
要は、他の人の助けを借りず、その人だけですることができなくなるのです。
恐れのある時ほど、その人の絶対性・主体性・独立性があらわれます。


■人は悲しい時に、その人の全てがあらわれます。
悲哀はその人柄全体をよく表すものです。
かなしみとは、人の感情の中で最も自然で、最も深刻な感情です。


日常、慣れた環境の中ではよく高ぶる人も、ここぞという時には尻込みする、
かと思えば、一見して人の中に混じっているように見えても、
事を引き受けてやり遂げる人がいるものです。
表面を立派に整えている、ぼんやりしているように見える、弱々しいというような
外見だけでは人は判断できないものです。


非常の時、その真価を垣間見るのです。