胸に手を当てて。

普段私たちは、様々な利害関係の中で生活していますね。
気の進まないこと、些細なこと、自分にみかえりの無い・無さそうなこと
厄介なこと、厄介な相手・・・。
本能的にそれを避けること、意識的に遠ざけることをしてしまっているものです。


また、偏見や思い込みから
ぞんざい(いいかげんに物事をする。不作法)な態度を示したり、労を惜しんだり、
時間を惜しんだり。


いかがでしょう?
自分は、毎日の生活や仕事の中で、そんなことがないでしょうか?
ちょっとしたエピソードをご紹介します。
一見、有難くない、迷惑に思えるようなこんな事、
あなたは、どうご覧になるでしょう・・・。


私の一番身近な女性は、以前銀行の窓口で仕事をしていました。


体が不自由で文字を書くにも時間がかかり、文字も言葉も明瞭でない老人がおられた
らしいのですが、混雑する窓口でどんな扱いをされていたでしょうか?
ご想像に大差はないと思います。
彼女はその老人が来店されると、「○○さん!」と声をかけ、
自分の窓口に呼び寄せました。
そこへペンを渡し、自分の窓口の前で伝票を記入してもらい、処理をしたのです。
これは、少しイレギュラーなことですが、お客さまは「ありがとう」と言って帰られ
以後、毎回そうされるようになりました。


そしてある日、大変な額の現金を持ってこられ、「あなたへのお礼の気持ちです」と
預け入れをしてくださったのでした。
これは、他行(よその銀行)に預けておられた定期預金などをすべて解約して
持ってこられたものだったのです。


また、あるお客さまは、毎日少しのお金を両替に来られる方で、
何かの行商をされているような、いつも長靴は泥だらけ、手も汚れておられ、
身なりは決して良いとは言えないご婦人でした。
窓口の応対にも小言をおっしゃる方で、なんとなく窓口も用だけ済ますといった感じです。


その方が手袋を忘れて帰られ、住所を調べたところ銀行のすぐ近所にお住まいだと
判りましたが、誰も行きたがりません。しかも、手袋はボロボロです。
支店長に頼まれ、彼女が届け、少し話して帰ったそうですが、窓口での印象とは一転して
とても優しいご婦人だったらしいのです。
以来、そのお客さまは当然彼女の窓口へ・・・。
行内では、彼女に同情めいたことを言う人たちさえいたそうですが、後になってビックリする
ことが起きたのです。


その日も、ご婦人はいつもの格好で彼女の窓口で用を済ませると、
座っていた数人のスーツ姿の男性に声をかけ、やり取りした後、
一緒に戻ってこられると・・・。
ゼロのたくさんたくさん並んだ小切手を差し出され、土地の売買で受け取られた代金を
予定していた銀行を変更して「あなたに預けます」とおっしゃったのでした。


この他、以下は本で読んだものです。
あるホテルに、裕福な老人が長期に宿泊されていたそうですが、無愛想で何かにつけて
小言をいわれる男性でした。
こちらが挨拶をしても返さず、色々な注文ばかりされ、ホテル側もほとほと手をやく
お客さまでした。どのスタッフも、できるだけ関わりたくない、嫌な人だと噂する中
一人だけ、“お客さま”という気持ちで接し、そのお客さまのどんなわがままにも
親切に応えるスタッフがいました。
やがて、その青年にだけ、そのお客さまは「おはよう」と言われるようになり、
少しづつ会話をされるようになったのです。
そして、そのお客さまの経営するホテルの支配人に、青年は大抜擢されたのでした。
このお客さまの、これまでの振る舞いはすべてがここにあり、
言い換えれば試しておられたのでしょう。


少し長くなりましたが、私たちのこころが、お客さまには分かるのかも知れません。
つれなかったお客さまが、繰り返し足を運ぶうち、少しづつ話されるようになる
ことの喜びを、女性スタッフから聞いたことを思い出します。


私たちは表面的なことや、些細なこと、煩わしげなことに意外にも冷淡で、
そのような人やものごとを、視野から外してしまう側面を持っているようです。
何かを拒んで
実は、そこからもたらされることを
受け取れずにいることがあるのではないでしょうか。


結果的に、ある人には得(徳)にできることが、ある人には損になる。
それは、相手に問題があることよりも、
自分に問題があることの方が多いように思えます。
その差を分けるものは、つまらない目先の損得勘定かも知れませんね。