自分

自分はどんなひとと好んで付き合うだろうか。
プライベートなら、価値観が近い人、共感するところの多い人だろう。
一緒にいて楽しい、心地いいなど・・・好きだと感じるひと。


しかし、会社での人間関係はそうばかりはいかない。
自分の気に入った人たちだけでやりたいなら、独立するしかない。
自分の気に入った人たちを集めてやる会社は、会社として機能するだろうか?
裸の王様だ・・・。


若くして阿波藩藩主となった蜂須賀忠英(はちすか ただてる)は
当初、周りに自分の気に入った連中を集めた。
彼らはいつしかおべんちゃらだけを言う茶坊主になり、その結果
忠英は、まじめに仕事をする武士たちの正しい意見を聞かなくなった。
それは不満となり、「殿様の批判をしている」と忠英の耳に入った。
忠英の祖父、家政は城を訪れ、こう言った。
「決して自分に対する批判を恐れてはならない。何でも聞くことだ。批判の中にも
正しい意見がある。上に立つものはそれに耳を傾けなさい」と。


相手の喜ぶことを言うのは簡単だ。
耳の痛いことを言うのには、勇気が要る。
その人のことを想っていなければ、わざわざ嫌な気持ちにさせる必要は無い。
それを言ってくれる人こそ大切にすべき人であり、信頼できる人だろう。
それを教えてくれる人こそ、真の友人だろう。


しかし、中には批判の好きな人がいなくはない。
標的を定めて批判する。
同調する人と盛り上がる。
そして、次から次へとその標的が変わる。
ある人の批判に同調して一緒に盛り上がった、その人も、やがて標的になるのだ。
このようなことは悪口であり、陰口の域である。
これは例外。
そんなことで結束した集まりなんて、ちょっとした事で空中分解してしまう。


「批判」とは本来、
人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。
決してマイナスではなく、むしろ前向きに捉えるべきだと思う。


目上の人でも、新入社員でも、互いに認めるところがあり
より良くしていこうと意見を交わす。
そこに心外なことがあったとしても、謙虚に聞くことは、自分を知る事であり
それは、自分を育てることにもなる。


人間の器。
この器、自然に大きくはならないものだ。
自分を知り、自分を育ててこそ
人は自らの器を大きくできる。