和尚さん

  本日法事にて、

  娘「和尚さんになりたい」

  まわりの人「えーーーー」

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  以下和尚さんのからの教え


  私がすすめている念仏は、
  中国や日本で、
  昔から多くの智者たちによって論議されているような、
  仏のみすがたや浄土のありさまを心のうちに思いうかべ、
  往生の手だてとする念仏でもなければ、
  学問をして念仏とは何ぞやという意味を悟り、
  初めてとなえる念仏でもない。

  ただ極楽浄土に往生するためには、
  口に南無阿弥陀仏ととなえるほかには道はないのだと、
  阿弥陀仏の慈悲を信じ、疑いの心をおこすことなく、
  おすがりするほかには、何一つとして方法はない。
  素直な心(至誠心)で、
  身を仏にまかせて(深心)、
  脇目もふることなく、
  浄土に往生させてほしいと願う心(廻向発願心)も、
  敬虔(けいけん)な態度で(恭敬修)、
  雑念をまじえず(無間修)、
  ただひたすらたえることなく(無間修)、
  長くつとめる(長時修)のも、
  みな南無阿弥陀仏と申して
  往生したいと思う心の中に、含まれている。
  要は念仏を申すことである。
 
  もし、このほかに奥深いことを
  承知しているにもかかわらず、いわないならば、
  そのような自分こそは念仏を軽んじ、
  仏意を曲げることにもなり、
  釈尊阿弥陀仏の思いやりの心にそむき、
  本願の救いからもれ、
  地獄におちてしまうであろう。

  念仏を信じ、浄土に往生したいと願う人は、
  今までたとえ仏教のすべてを学んだ人であっても、
  自らを何も知らない愚かな者であると自覚し、
  ひたすら阿弥陀仏の慈悲を信じて念仏せよ。
  決して智者であるかのような
  高慢な心をおこしてはならない。